人間万事塞翁が馬

故事 – Wikipedia

塞翁が馬

国境の近くにあった塞(とりで)の近くに住んでいた翁(老人)は、何よりも自分の馬をかわいがっていた。その馬は、周りからも評判が立つほどの駿馬であったが、ある日突然、蜂に刺された拍子に飛び出してしまう。一向に帰ってこない馬の様子に、周りからは翁に同情するほどであったが、翁は「これがきっかけで何かいいことが起こるかも知れない」とだけ言って、我慢強く待ち続けた。すると、どうだろうか。しばらくして、その馬が別の白い馬を連れ帰ってきたのである。しかも、その白馬も負けず劣らずの優駿であり、周りの者は口々に何と幸運なことかと囃し立てたが、翁は「これがきっかけで、別の悪いことが起こるかもしれない」と自分を戒め、決して喜ばなかった。

それから、かわいがっていた息子がその白馬から落ちて、片足を挫いてしまった。周りはまた同じように慰めの言葉を掛けたが、翁はまた同様に「いいことの前兆かも知れない」と告げる。それからしばらくして、隣国との戦争が勃発した。若い男は皆、戦争に借り出されて戦死した。しかし息子は怪我していたため、徴兵されず命拾いした。そして、戦争も終わり、翁は息子たちと一緒に末永く幸せに暮らしたという。この話は『淮南子』の巻十八人間訓に収録されている。

このことから、人間、良いこともあれば悪いこともあるというたとえとなり、だから、あまり不幸にくよくよするな、とか幸せに浮かれるなという教訓として生かされる言葉になり、「人間(じんかん)万事塞翁が馬」などと使われる。

類義語は「禍福は糾える縄の如し」。

有名な話しだし、特に解説は不要でしょう。人間(じんかん)は世間の意味です。

この物語はとてつもなく奥深い・・・実話かどうか知りませんが(笑)。

引用先のWikipediaあるいは後世の人々の解釈では「よい事」「悪いこと」と表現されているようですが、実際は多分違っていたと思います。教訓としてなら上記の解釈になるでしょう・・・。説法と説教の違いが現れている事例かもしれません。

しかし翁が伝えたかったのが「それ」だとしたら、翁が「それ」を生きていたら、おそらく口に出した言葉は、馬が逃げようが、戻ってこようが、骨折しようが、徴兵を免れようが、(周囲の人にできるだけあわせた)ギリギリの表現が「そうかなぁ・・」程度でしょう。更に付け加えるなら「十全なる悲しみと十全なる喜びを味わっていた」ことでしょう・・・引用にあるように「決して喜ばなかった」という馬鹿なことはないのです。悲しみそのもの、喜びそのものなのです。「その時、翁はいないのです」

無常の「それ」、「それ」にどんな評価ができるというのでしょう・・・

マインドの代表的仕事「評価/解釈/判断する」を見切っている、翁の在りかたはまさに「それ」を生きていたことでしょう。

この物語はとてつもなく奥深い、そして とてつもなく美しい・・・

そこに翁がいないのだから・・・

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