死について・・・

流れる空間:ジョブズの卒業祝賀スピーチ – livedoor Blog(ブログ)

・・・・・3つ目は、死に関するお話です。  私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。  自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。  君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。……..

これは私の古いブログの引用の引用です(w)。S・ジョブズが言ってるので何故か説得力があるでしょう?

こちらも参考になるかな?

死は私たち全員に確実に訪れます。

そしていつ訪れるか明かされていません。

その時、あなたが何十年もかけて大切にしてきた、あるいは今、大切にしている、

「ひと(家族、友人、知人など)」 「もの(財産など)」 「こと(地位、名誉、誇りなど)」 を一切合切、根こそぎ無にしてくれます。

ところで、あなたが大切にしている「ひと」「もの」「こと」はもしかしたら悩みの種、苦しみの原因では?なんだかおかしくないですか?マインドはこんな風に囁きます「儚いからこそ大切なんだ・・・」見事なトリック物語です。

今を生きる以上の「余分」は欲望の結果です。悪い訳ではありません、固執し、抱え込むと、つまり「余分を減らしたくない、失いたくない」とガードし始めると病気になります。不安になります。

あなたは「子ども達に引き継いでもらえるだろう」と言うかもしれません、死後まで考えるのは立派なことでしょう。しかしどうせ与えるなら、生きてるうちに与えた方が素敵だと思います。それも身内ではなく、世界に・・・それも全てを、そして今すぐに・・・私にでも良いですよ(爆)

誰が、どんなふうに表現しても、死は一切合切を無にしてくれます。

死は私たち全員に確実に訪れます。

そしていつ訪れるか明かされていません。

それでいて、最後に何かが在ります。死は肉体の停止であり、「死という言葉」です。「生」という言葉の対概念です。昨日も無く明日もないのにどうして生があり死があり得るのでしょう?肉体はこの瞬間も停りつつあるのです。最も儚いのはもしかしたらこの瞬間では?イマココ以外に儚い何かがあるのでしょうか?

もうそろそろ準備はできましたか?

Are you ready?  Let’s go together!!



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