石火之機、啐啄の機(啐啄同時:ソッタクドウジ)・・・

これらの言葉は「機」を伝えようと先達が伝えようとした「今」です。電光石火、稲妻の光も同じように「解説」することができますね。

「分けることができない時」つまり「前・後」がない「今」を伝えようとしてます。実に見事な言葉です。これは「理解しても価値をつかめない言葉」でしょう。

「直入」「超越」「昇華」「飛翔」・・・飛び込んで「それ」を体験しなければなりません。

少々「一般的に」解説しておきます。(※卒啄同時:携帯だと文字化けしてるかも知れないので・・・)

「啐啄同時」:一般的には「親鳥と雛鳥」が卵の外側と内側から同時につつきあうことで卵の殻が割れる・・・のような解説がされ、「何事も機が大切」、あるいは禅の世界ではマスターと弟子の関係において大悟する瞬間を表現するようなタイミングのことで、いずれも「時が大切」だと・・・

さて、なんとなく「わかった気になる」でしょう?あなたは「いつものように」なんとなくわかった気になることで安心してしまうかも?「知った」ということで満足ですか?「知識」としてストックすることで「賢くなった気になりますか?」・・・この「理解の仕方」こそマインドの仕事です。これで「ストック」は増えます。物知りにはなります。「説教」はできるでしょう。しかし先達は「ギリギリの表現」をして「説法」をしているのです。言葉をストックしてもあなたは何も変化しないでしょう・・・

さらに、この解説には間違いがありますね?(私流になりますけどw)啐啄の機において、

「事が起きるまで」つまり「卵の殻が割れるまで」「親鳥も雛鳥」の居ないのです。

卵の殻が割れた「機」に「親鳥と雛鳥になってしまう」のです。

経時的な解釈ができない「機」を扱っています。電光石火、石火之機、稲妻の光も前後不問の「今」を伝えようとしています。

どれほど巧みに言語化しても「わからない”それ”」をわかろうとするのは徒労です。まして過去に囚われ、将来に夢見てるのなら「今」を体験することは不可能でしょう。

今いまと、今という間に今ぞなく、今という間に今ぞ過ぎ行く

少しですが、こちらも関係するかも知れません・・・

今年も宜しくお願いします!!

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