もう一人の自分

あなたは「いまここ」であなた自身が「何をしているのか」を観察することができますね?まさにこの瞬間なら、モニターに映し出されて文字を追いかけながら(読みながら)色々と解釈してる自分自身です。更に手はどこにあり、脚はどこにあり・・・と、身体そのものを隅々まで観察することができるでしょう。背中に意識を向ければ背中が見えるような気がしませんか?背後から自分自身を観察することができるでしょう?

この感覚、実はとても大事です。身体だけではなく、「思考」も観察することができます。

「確かに言われてみれば背後から観察できるなぁ・・」と思考する体験が「ついさっき」起きませんでしたか?

上記の「背後から自分自身を観察することができるでしょう?」を読んだ瞬間です。

では一体「あなたを観察しているのは誰」ですか?

「観察されているのは誰」ですか?

「観る者と、観られるも者」です。

ところで、観察する器官は通常「眼」です。先程の「行為」は、この肉体的「眼球」を使って観察してないことはわかりますよね!では一体「何で」観察したのでしょう?「心の目」とか言っちゃいますか?これは方便ですね。そもそも「心って何?」と尋ねられたらなんと答えますか?結構絶句しますよ。

瞑想が起きるとは「観る者と観られる者」が消滅する事を指します。この刹那に大いなる飛躍が突如として「起こってしまう」

この状態を言葉で言い表すことは不可能です。光になるとか、宇宙になるとか、神と一体するとか、無になるとか、全てになる、・・・これらは全て「方便」ですから。

方便に囚われては、いつまで経っても「方便から抜け出る事ができません」

もっと激しい感覚です。違う方便を使うなら「死ぬ」です。(これとて方便です)

そうして初めて「再誕生」します。「死の超越」です。

「あなた」が「あなたらしく生きる為」には、もう一人の自分は大切な自分です。

だからこそ「あなた」を超えなければなりません。

ではでは、

Enjoy your life!!

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