おくちの恋人(笑)

「お口の恋人○ッテ」菓子メーカーのコピーとして良くできていますね。では「身体の恋人」といったらどうでしょう?興味ありますか?今回の記事はちょっとアダルトな内容かも?って、そもそもアドルトってなんだ?まぁ、細かいことは置いといて、早速本題に入ります。

性を商品とする風俗産業があります。もちろん関連する商品やサービスも、もの凄く多いです。映像にしてもショウにしても施設にしてもグッズにしても先進国ならおよそ「マインドが考えつく、ありとあらゆる商品やサービスがある」でしょう?どちらかと言えば男性が客で女性が商品というのが一般的ですが、逆もたくさんあります。

本来、sexは「頭(マインド)がする」ものではなく、「身体(ボディ)がする」のです。もう少し厳密に言えば「身体に起きる」と言ってもよいでしょう。

だから、大いなる「飛躍」が起き、「それ」に出会うチャンスがあります。sexは「純粋」で「シンプル」で最も「安心」できる瞑想です。ただし、残念なことに愚かな人達によって「銭儲けのテーマ」になっています。

マインドでsexするとスポーツに近くなります、上手くなるとか技を磨くとか、または道具に凝ってしまうとかw、更には観客だとかチームプレイだとか(爆)アブノーマルなゲームです。まんまと銭儲けに洗脳されているわけです。爽快感程度は手に入るでしょうが、「それ」に近づくどころか、絶望的に「マインドの奴隷」に成り下がります。

ボディでのsexは男女一対(つまり2人)だけで、「くつろげる状態」です。外敵から身を守る必要があります。最も無防備な瞬間だからです。動物は快楽のためにsexはしません。それどころか命懸けですらあります。だからとても尊い行為です。

人間は少し違います。特に現在は「生活環境」が変化し、年間を通して「無防備になれます」要はいつでもsexできるということです。発情とは違います。発情だけなら動物と違いがありません。もう少し精妙な「感覚」です。だからこそ、「それ」の別称である「愛」が起こるのです。

愛は「それ」と同様 語ることができません。せいぜい「愛に触れるという体験」ができる程度です。語れば語るほどチープになるでしょう。sexであれば「2人が解け合う(トケアウ)」という表現が最も近いでしょう。だから、そこには「誰もいない」のです。「愛(=それ)」だけが存在します。

注意すべき点は

人生で一度でもこの体験をした人は「また、次も・・・」と「マインド型sex」になってしまうことです。こうなると「マンネリ化し、スポーツ」になってしまいます。それでも2人きりで無防備になるのはとても重要な瞬間です。だからお勧めしますw

2人で愛になるには

いつも新鮮な2人でいることです。「イマ、ココ、フタリ」であれば良いのです。一人で瞑想する時は「イマ、ココ、ワタシ」です。そして「ワタシ」が消えた時「それ」が起こります。同様に「愛が起こる」のは「フタリ」が消えた時です。身体に起きることを全て許可できるので一人で瞑想するより安堵感があります。マインドのブロックが外れる瞬間に安堵感があるのは素晴らしことです。(通常の瞑想ではワタシが消え失せる瞬間に恐怖感?みたいな感覚があります、特に初めて「それ」を経験する時は…)

私達はマインドフルな生活スタイルを余儀なくされています。

しかし、シンプル捉えれば「食う、寝る、やる+遊ぶ」で生き物としては完璧です。後は全てプラスαの要素であり「マインド・ゲーム」のテーマでしかありません。そのプラスαで苦悩したり、落ち込んだりするのは「どうなの?」って思いませんか?マインドを召使にしてしまえば全ての苦悩から解放され、もちろん山奥に住まなくてもOKです。マインドの奴隷になっていれば「恐怖や怯え、不安」といったネガティブな感情と一緒に生きなければなりません。たとえ山奥でもです。だから常に醒めていましょう。簡単なことです。「イマ・ココ」=「それ」です。

存在(全て)です。

Enjoy meditaition!!

 

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