悟り・さとり・ SATORI

悟ったとか、悟りを開くと言ったりします。悟ると一体どうなるの?

どんな状態なのか「知りたい」でしょう?この知りたい「欲」が実はクセモノですね。悟りは「忘我」です。

で我を忘れるって皆さんも日常的に「体験してる」はずです。ただし、その時間が短かったり、あるいは気がつかなかったりと「見逃している」のです。別な言い方をすれば「夢中」に近いかも知れません。あるいは「時の経つのを忘れる」感じです。何となくわかりますか?

このような状態になる時(なった時)を経験してるでしょう?

「先」のことにも「さっき」のことにも関心がなく、只々、その瞬間を生きてるかんじです。もちろん不安や恐怖なんてありません。そして、後悔も反省もありません。良かったとか悪かったという評価もありません。つまり、一切の「思考がが消え失せ唯ある」だけです。それでいて「充足感・安心感」などの表現にちかい「夢中だった時」が「あとになって実感としてわかる

で、「楽しかった」となるわけです。この瞬間から「いつものマインド・ゲーム」がはじまり、現実に「戻り」、いつもの状態=慣れ親しんだ状態に「戻る」わけです。

そして、

  • 何かいいことないかな?
  • 何か面白いことないかな?…

ってね。

悟っても、おそらく多くの人には現実・現象は何もかわりません、しかし、この慣れしたんだ状態が「マインド・ゲーム」だという自覚があり続けます。だからこそ、この慣れ親しんだ状態が「夢」であり、夢中になって、「忘我」の状態こそが「それ」だと自覚できるのです。要するに「夢と現(うつつ)」が逆転する感じと表現しても良いでしょう。

 「先」のことにも「さっき」のことにも関心がなく、只々、その瞬間を生きてるかんじです。もちろん不安や恐怖なんてありません。そして、後悔も反省もありません。良かったとか悪かったという評価もありません。つまり、一切の「思考がが消え失せ唯ある」だけです。それでいて「充足感・安心感」などの表現にちかい「夢中だった時」が「あとになって実感としてわかる」 この出来事そのものを観照し、静かに受け入れて、次の「唯ある状態への変化」を繰り返す感じです。

まぁ、説明するとこんな感じですけど、「実感を伴う体験」がないと「わかった気になるだけ」かも知れませんね。このブログで何度も書いてますが「言葉では説明不能」、だから、こんな周りくどい書き方になります。「一瞬で全て」了解できるのにね…

悟れば、「夢と現の逆転そのものが消滅します」

四六時中「夢」と言ってもいいし、「現」と言っても良いのです。

瞑想しましょう

ではでは、

Enjoy meditation!!

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